平安時代についてわかりやすく part10「国風文化編」

前回の「平安時代-弘仁・貞観文化編-」に続いて、今回は「平安時代-国風文化編-」です。

国風文化(藤原文化)

平安時代中期、10~11世紀頃、日本的な特徴が濃くなった「国風文化(こくふうぶんか)」。唐文化を消化・吸収、さらに日本的な文化と融合して、日本独特の文化が形成されていきます。

日本人的な感性、美意識は今にも通じるものがあり、生活様式や美術・芸術の面でも、”日本独自”を追求する意識の変化がみられます。

国文学

特に文学での発展は目覚しく、かな文字の使用により、女性作家が活躍した時代でした。

かな文字

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(画像は「漢字からひらがなへの変化」平仮名 – Wikipediaより)

奈良時代の「万葉仮名(まんようがな)」、平安時代になると草書体を使用した「草仮名(そうがな)」を経て、簡略化された「平仮名(ひらがな)」が誕生。宮廷の女性を中心に使用されるように。

僧侶が経典を読むために考案した「片仮名(かたかな)」も、この時代。

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(画像は片仮名 – Wikipediaより)

万葉仮名に使われている漢字の一部を取り出して作られました。

和歌・漢詩

9世紀後半になると、「和歌(わか)」も漢詩と同様に、宮廷行事の中で重要な位置を占めるようになります。

古今和歌集

Kokin_Wakashu.jpg(画像は「古今和歌集仮名序」古今和歌集 – Wikipediaより)

905年に醍醐天皇の命で編纂された、最初の勅撰和歌集です。

全20巻、総勢1111首
(仮名序)
巻第一 春歌 上
巻第二 春歌 下
巻第三 夏歌
巻第四 秋歌 上
巻第五 秋歌 下
巻第六 冬歌
巻第七 賀歌
巻第八 離別歌
巻第九 羈旅歌
巻第十 物名
巻第十一 恋歌 一
巻第十二 恋歌 二
巻第十三 恋歌 三
巻第十四 恋歌 四
巻第十五 恋歌 五
巻第十六 哀傷歌
巻第十七 雑歌 上
巻第十八 雑歌 下
巻第十九 雑体(長歌・旋頭歌・誹諧歌)
巻第二十 大歌所御歌・神遊びの歌・東歌
(墨滅歌)
(真名序)
(古今和歌集 – Wikipediaより)

今も昔も変わらず、恋の歌は多い。

『古今和歌集(こきんわかしゅう)』に出てくる代表的な歌人、遍昭(へんじょう)、在原業平(ありわらのなりひら)、文屋康秀(ふんやのやすひで)、喜撰(きせん)、小野小町(おののこまち)、大友黒主(おおとものくろぬし)の6人を「六歌仙(ろっかせん)」と呼びます。

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(画像は六歌仙 – Wikipediaより)

物語・日記・随筆

竹取物語(たけとりものがたり)


(画像はAmazonリンクです)

かぐや姫」がヒロインの、日本最古の物語

伊勢物語(いせものがたり)

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(画像は勝川春章「風流錦絵伊勢物語」伊勢物語 – Wikipediaより)

在原業平(ありわらのなりひら)」が主人公、日本最古の歌物語

源氏物語(げんじものがたり)

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(画像は土佐光起筆『源氏物語画帖』より「若紫」源氏物語 – Wikipediaより)

主人公は「光源氏」。「紫式部(むらさきしきぶ)」による長編小説。


(画像はAmazonリンクです)

土佐日記(とさにっき)

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(画像は土佐日記 – Wikipediaより)

紀貫之(きのつらゆき)」が土佐国での国司を終えて、京へ帰る旅路をつづった日記。冒頭に「男もすなる日記といふものを・・」とあるように、当時女性が使うものとされていた仮名文字を使い、筆者を女性に仮託して(架空の女性筆者という設定で)書いています。

蜻蛉日記(かげろうにっき)

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(画像は岳亭春信「蜻蛉日記」蜻蛉日記 – Wikipediaより)

作者は「藤原道綱母(ふじわらのみちつなのはは)」。

紫式部日記(むらさきしきぶにっき)

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(画像は「紫式部日記絵巻」紫式部日記 – Wikipediaより)

作者は紫式部

和泉式部日記(いずみしきぶにっき)

作者は「和泉式部(いずみしきぶ)」。

更級日記(さらしなにっき)

作者は「菅原孝標女(すがわらのたかすえのむすめ)」。

枕草子(まくらのそうし)

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(画像は枕草子 – Wikipediaより)

清少納言(せいしょうなごん)」による随筆(エッセイ)。

その他

宇津保物語(うつほものがたり)
日本文学史上最古の長編物語。

落窪物語(おちくぼものがたり)
継母(血をわけぬ母)から、いじめられる物語。

宗教・思想

天台宗

最澄(さいちょう)」によって日本に伝えられた、法華経(ほけきょう)を根本経典とする仏教の一宗派。

真言宗

空海(くうかい)」によって開かれた、密教を基盤とする仏教の一宗派。

神仏習合

八百万の神々は仏・菩薩が化身として現れた権現(ごんげん)であるとする考え、「本地垂迹説(ほんじすいじゃくせつ)」が唱えられました。

御霊信仰

天災や疫病は怨霊(おんりょう)の祟りだと考え、彼らを鎮めるため「御霊会(ごりょうえ)」などを行いました。大宰府へ左遷された菅原道真を、北野天満宮に天神様として祀ったエピソードが有名です。

浄土教

阿弥陀仏(あみだにょらい)を信じ、極楽浄土にいって生まれ変わるため、「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」を唱える信仰。

仏教の布教

空也

空也(くうや)」は、民衆に浄土思想を布教した僧。京の市で布教したため、「市聖(いちのひじり)」と呼ばれました。

源信

源信(げんしん)」は、極楽往生に関するハウツー文章を集めた「往生要集(おうじょうようしゅう)」を著しました。「恵心僧都(えしんそうず)」とも呼ばれます。

末法思想

釈迦(しゃか)の死後、釈迦の教え・修行が行われ悟る者がいる「正法(しょうぼう)」の時代。正法と似ているが、悟る者が現れない「像法(ぞうぼう)」の時代。教えだけが残り、世も人も荒れる「末法(まっぽう)」の時代。

この末法元年が1052年だと考えられていました。当時は、政治も、中央も、地方も、天候も荒れていたので、真実味はあったのでしょう。

往生伝

極楽往生した人たちの体験エピソードを集めた、伝記集。

慶滋保胤(よしげのやすたね)」による『日本往生極楽記(にほんおうじょうごくらくき)』、「三善為康(みよしのためやす)」による『拾遺往生伝(しゅういおうじょうでん)』。

建築

寝殿造

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(画像は「東三条殿復元模型(京都文化博物館)」東三条殿 – Wikipediaより)

1. 寝殿(しんでん)、2. 北対(きたのたい)、3. 細殿(ほそどの)、4. 東対(ひがしのたい)、5. 東北対(ひがしきたのたい)、6. 侍所(さむらいどころ)、7. 渡殿(わたどの)、8. 西透廊(にしすきろう)、9. 釣殿(つりどの)

貴族の住む邸宅は、「寝殿造(しんでんづくり)」と呼ばれる建築様式が用いられました。中心には寝殿と呼ばれる建物、庭の池には橋をかけ、東西にある建物を渡殿(わたりどの)でつなぎ、池に向かって伸びる渡殿には、釣殿(つりどの)を設けました。

壁はほとんど無く、屏風(びょうぶ)や几帳(きちょう)、衝立(ついたて)で区切りました。

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(画像は屏風 – Wikipediaより)

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(画像は几帳 – Wikipediaより)

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(画像は衝立 – Wikipediaより)

※向かって右奥に置かれているのが衝立

仏教建築

法成寺

藤原道長によって建てられました。

平等院鳳凰堂

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(画像は平等院 – Wikipediaより)

鳳凰堂(ほうおうどう)は、藤原頼通によって建てられました。10円玉の裏に描かれているやつです。

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(画像は十円硬貨 – Wikipediaより)

醍醐寺五重塔

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(画像は「五重塔(国宝)」醍醐寺 – Wikipediaより)

法界寺阿弥陀堂

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(画像は「阿弥陀堂」法界寺 – Wikipediaより)

彫刻

仏教彫刻

各部パーツを別々に彫り、組み合わせて作る「寄木造(よせぎづくり)」の技法が用いられました。これにより、小さな木材からでも大きな仏像を造る事ができ、分担作業で効率も上がりました。

平等院鳳凰堂阿弥陀如来像

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(画像は「平等院鳳凰堂中堂」平等院鳳凰堂の音楽する菩薩たちより)

定朝(じょうちょう)」作。

法界寺阿弥陀如来像

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(画像は法界寺(日野薬師)- 醍醐 [アクアディーナ京都版]より)

絵画

大和絵

大和絵(やまとえ)」は、国風文化の時期に発達した日本絵画。屏風(びょうぶ)や(ふすま)に描かれました。宮廷画家の「巨勢金岡(こせのかなおか)」が有名です。

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(画像は「平等院 中品上生 東扉」大和絵 – Wikipediaより)

日本画の人物の顔は、皆同じようにデフォルメされています。

写実的に描かれない理由として「呪詛をかけられることを避けた」という説も。怨霊を恐れ、陰陽師が活躍した時代。学校では、「表情を描かないのは雅な人だから」と習った記憶があります。

来迎図

阿弥陀如来が、往生する者を迎えにやってくる様子を描いたのが「来迎図(らいごうず)」。高野山の「聖衆来迎図(しょうじゅらいごうず)」「平等院鳳凰堂の扉絵」など。

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(画像は「阿弥陀聖衆来迎図」高野山霊宝館より)

書道

9世紀の「唐様(からよう)」に対して、「和様(わよう)」が流行りました。

小野道風(おののみちかぜ)」、「藤原佐理(ふじわらのすけまさ)」、「藤原行成(ふじわらのゆきなり)」ら書道の大御所は「三跡(さんせき)」と称されます。

工芸

蒔絵

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(画像は「蒔絵(拡大画像)」蒔絵 – Wikipediaより)

蒔絵(まきえ)」は、漆器(しっき)の表面に(うるし)で絵や文様を描き、金箔銀箔蒔きつける技法。

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(画像は「三十帖冊子蒔絵箱(模造)」東京国立博物館 画像検索より)

貴族の生活

男子は10~15歳で「元服(げんぷく)」。女子は「裳着(もぎ)」と言われる通過儀礼を経て、成人となりました。

夫が妻の家に通う(夜這いする)「招婿婚(しょうせいこん)」が一般的で、子供は母方の家で育てられました。

中国古来の「陰陽道(おんみょうどう)」に影響を受け、方角や占いに敏感で、”穢れ”を遠ざけるようになります。日常生活を制限する「物忌み(ものいみ)」。目的地が悪い方角の場合、一度別の方角に行って夜を明かす「方違(かたたがえ)」などの風習がありました。

衣服

~正装~
男性:「束帯(そくたい)」、簡略化した「衣冠(いかん)」
女性:「女房装束(にょうぼうしょうぞく)」[十二単(じゅうにひとえ)]

~平常服~
男性:「直衣(のうし)」、「狩衣(かりぎぬ)」
女性:「小袿(こうちき)」

食事

基本的に、日に2回の食事で、主食は米を蒸した「強飯(こわいい)」や炊いた「姫飯(ひめいい)」。おかずは魚、鶏肉、野菜など。

住居

貴族は寝殿造で暮らしました。

続きは>平安時代「院政期の文化編」

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