鎌倉時代の生活・暮らしについてわかりやすく【7】二毛作で銭が実る

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鎌倉時代の政治についてわかりやすく【6】武士でもわかる「御成敗式目」と北条氏の執権政治

北条氏の政治について説明します。日本初の武家法で、武士にもわかるよう平易な文章で書かれた「御成敗式目」。執権と並んで署名した「連署」、鎌倉幕府の意思決定機関「評定衆」、御家人の裁判を扱う「引付衆」についても説明します。

に続いて、今回は「鎌倉時代-生活編-」です。

武士と農民の生活を中心にみていきます。

農業技術の発達に伴う二毛作。商品作物の栽培と副業。貨幣経済が広まったことで、人々の暮らしは変化していきます。

鎌倉時代の生活

武士の生活

武士といっても、わずかな領地しかない者も多く、ほとんどは直営地(佃など)で農業を行っていたようです。

一所懸命

御家人は「地頭」として、非御家人は管理を任された地の「荘官」として、土地を支配しました。

自ら(もしくは先祖が)土地を開墾した「開発領主(かいはつりょうしゅ)」系の武士は、命をかけて土地を守ります。「一所懸命(いっしょけんめい)」。

武士の普段着は「直垂(ひたたれ)」。

(画像は直垂 – Wikipediaより)

礼服は「水干(すいかん)」。

(画像は水干 – Wikipediaより)

食事は日に2回。

手元の資料によると、玄米を主食に、うちあわび、くらげ、梅干、塩、酢などの献立。他に、狩りで仕留めた鳥や猪、鹿などの肉も食したそう。

中国から茶の文化も入ってきたようです。

(画像は武士の生活 | 世界の歴史まっぷより)

武士は「(たち)」と呼ばれる住居を築きました。

寝殿造りを簡素化した「武家造り(ぶけづくり)」で、支配に適した微高地などに館を構え、周囲を堀や溝、塀などで囲いました。

館の周囲に年貢や公事のかからない直営地(「佃(つくだ)」など)を経営。そこで「下人(げにん)」や「所従(しょじゅう)」、農民を働かせました。※下人、所従は隷属民。

惣領制

※説明済み

武芸

武士は「いざ鎌倉」に備え、日々武芸を磨きました。

犬追物
(画像は犬追物 – Wikipediaより)

犬追物(いぬおうもの)」

弓術の一つで、区切られたスペースにを放ち、騎馬で所定時間内に何匹射れたかを競います。

笠懸
(画像は笠懸 – Wikipediaより)

笠懸(かさがけ)」

同じく弓術の一つで、的にしたを馬上から弓で射る稽古。

流鏑馬
(画像は流鏑馬 – Wikipediaより)

流鏑馬(やぶさめ)」

直線馬場を疾走し、的に弓を射る稽古。

「犬追物」「笠懸」「流鏑馬」これら3つを合わせて「騎射三物(きしゃみつもの)」と呼びます。

基本の武器は「弓」だったんですね。

武家の道徳

武士団の成立にともない「武士のならい」「兵の道(つわもののみち)」など、武士の道徳が形成されます。

主人への忠、一門の団結、武勇を重んじ、心清らかに、恥を知る態度などが特徴。

地頭の荘園管理

「承久の乱」後、鎌倉幕府の支配地域が拡大すると共に土地を管理する地頭の力も増していき、紛争が頻発。

争いを解決するため、地頭にとって有利な解決策が目立つように。

地頭請

「毎年一定額の年貢を納入」を条件に、荘園領主が地頭に土地の管理一切を任せる地頭請(じとううけ)」。

一定量を納めれば地頭が好きに土地を管理できるので、余剰分(余った分)は、全て地頭の収入となりました。

下地中分

(画像は東郷荘絵図より)

元々荘園領主のものだった土地を、地頭との間で分割(≒中分)する「下地中分(したじちゅうぶん)」。

年貢など、土地から産み出される収益を「上分(じょうぶん)」、土地自体を「下地(したじ)」と呼びます。

ただの現地管理人だった地頭は、やがて領主に。

農民の生活

鎌倉時代の生活は、農村に支えられていました。

農村

有力農民は、荘園領主から「(みょう)」をもらい「名主(みょうしゅ)」と呼ばれるようになります。彼らが農業経営の中心となりました。

数十町の名を持つ、大名主なども登場。

名主は荘園内に屋敷を設け、下層農民を居住させます。

直営地

名主(領主)は、年貢や公事などの税が免除された直営田「(つくだ)」を、屋敷の近くで経営。下人や所従(隷属民)などに耕作させ、収穫物は全て名主のものとなりました。

直営地以外の土地は「作人(さくにん)」などに耕作させました。※作人は、名主と隷属民の間の身分。耕作を請け負った農民。

名主・作人ら農民は、「年貢(ねんぐ)」「公事(くじ)」「夫役(ぶやく)」などの税を納めました。

年貢は主に米で、収穫の3割程度。
公事は租税以外の雑税で、地域の特産品など。
夫役は土木工事や警備などの労役。

農業技術

農業技術の発達により、生産量が大幅にアップ。

富や力を持つ農民が増えたことで、ときに農民同士で団結し、(領主などの)支配者に対して訴訟やストライキを起こしたり、暴力で対抗することもありました。

荘園領主などに対抗する地頭や非御家人の武士たちを「悪党(あくとう)」と呼びます。百姓と組み反政府運動をする彼らは、鎌倉幕府を悩ませました。

二毛作

新しい肥料の導入、米の品種改良、使役動物を利用した耕作、農具の改良など農業技術の発達により、年に2種類の作物を栽培する「二毛作(にもうさく)」が普及しました。米の他に、麦や、荏胡麻(えごま)などの商品作物が栽培されるように。

新たな肥料

これまでの「糞尿」に加え

刈った草木を地中で腐らせた「刈敷(かりしき)」

(画像は伝統農業編-写真展1より)

草木を焼いた後の灰「草木灰(そうもくばい)」(カリウムと石灰分を含む)

(画像は草木灰の成分と使い方|適正使用量と使用上の注意点・メリット&デメリットを解説より)

など新たな肥料も使用され、生産量が大幅にアップします。

鉄製の農具

手工業者の増加で、鍛冶職人から安い鉄製農具が手に入るようになり、農業効率アップ。

牛馬耕

牛や馬を動力源として使う「牛馬耕(ぎゅうばこう)」が普及します。特に牛が耕作で大活躍。

(画像は仙南村より)
商品作物

農業技術の発展により、米以外に商品作物を栽培する余裕が生まれ、これらを売って農民は収入を得ました。

和紙の原料「(こうぞ)」。

(画像は和紙の原材料より)
(画像は和紙の原材料より)

藍染めの染料「(あい)」。

(画像は藍についてより)

天然樹脂塗料「(うるし)」。

(画像は今こそ漆採取方法に改革を | 漆に生きる日々より)

油が取れる「荏胡麻(えごま)」。

(画像は荏胡麻(えごま)の種より)

商工業

農業技術の発展に伴い、副業や家内での手工業が広がります。

手工業

紙・生糸・布の生産、桶・器・杓子などの手工業品。

手工業を専門とする「職人」が増加し、商業が活発化します。

定期市(三斎市)

(画像は東京書籍「図説日本史」より)

交通の要所で月に3度「定期市(ていきいち)」が開かれ、商業活動が活発化。

商業の発達に伴い、「連雀商人(れんじゃくしょうにん)」や「振売(ふりうり)」などの行商人(ぎょうしょうにん)もみられるように。

(画像は振売 – Wikipediaより)

見世棚

定期的な出店ではなく、常設の小売店「見世棚(みせだな)」。

(画像は東京書籍「図説日本史」より)

商工業者たちの同業者組合「(ざ)」。西欧でいう「ギルド」的なもの。

朝廷や貴族などの支配者に金銭を払う見返りとして、販売の独占権を得ました。

貨幣経済

朝廷や貴族など一部の階級だけでなく、農村まで貨幣経済が浸透。「米」から「銭貨」へと、税や取引の手段が変化していきます。

宋銭

日宋貿易により大量の「宋銭(そうせん)」が流れ込み、貨幣経済が都市から農村まで広がりました。

(画像は宋銭 – Wikipediaより)

借上

高い利息で貸し付ける金融業者「借上(かしあげ)」が発生。

為替

遠隔地での代替決済方法として、手形を利用した「為替(かわせ)」システムもみられるように。

都に住むAが10万円を為替業者に持ち込み、手形(割符)と交換

地方に住む(遠隔地)のBに手形を送る

Bは、受け取った手形を為替業者で10万円と交換

のようなシステム。(※手数料は無視して書きました)

銭や米を直接送る(輸送する)必要が無いので、輸送コストやリスクが減ります。

問(問丸)

為替の運用、年貢や商品の運送・中継ぎ・委託販売などをしていた業者「(とい)」(問丸)。

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